そこに光る
「君は君が言うほど駄目な奴なんかじゃない」って言ってくれる人たちの思ってるより、よっぽど僕は駄目な奴だけど、その人たちが僕を思ってくれるよりもかなり、その人たちの否定する駄目な僕のことが僕は大好きだぜ
— はちわる (@8waru11) 2016年10月25日
周りの人が甘やかしてくれるのに乗っかり、僕は図に乗って「もうだめだぁ僕はクズ野郎だ~」なんて口に出して言ってしまいがちです。
すると周りの人たちは「ううん、そんなことないよ」「はちわるくんはクズなんかじゃない」「もっと自分に自信を持って」とか言ってくれます。
優しい言葉をくれる人が回りにいるのは当然、まったくもってありがたく、恐れ多いです。
だけど、僕はクズが一瞬の煌めきを見せる瞬間が大好きで、いつか僕も一瞬の煌めきを放って燃え尽きてみたいなんてぼんやり思いを巡らせてしまいます。燃え尽きるために、もう少しだけ、クズのままでいさせてくださいな。なんてちょっとだけ思ってみたりもします。
まあ、社会生活を送る上ではなかなかそういうわけにもいかないんですけど。
たとえば、シド・ヴィシャスがライブで胸にGimme a Fixとカミソリで彫り、鼻血を噴きながらベースを弾く写真だったり。
たとえば、かつて先生からボケ作と呼ばれたヒロトが童謡みたいな旋律に乗せて歌うリンダリンダのドブネズミの美しさだったり。
たとえば、筋肉少女帯でオーケンが声をカスッカスにして叫ぶ「戦え!」「何を!?」「人生を!!」のコールアンドレスポンスだったり。
たとえば、ラヴ・パレードで100万人の観衆を前にDJをした石野卓球のMIXを聴いたあとで読むメロン牧場だったり。
たとえば、他人の曲に乗せて「Timerが大好き」と皮肉りまくって歌った清志郎もといゼリーだったり。
たとえば、PCで格ゲーを快適に遊ぶために受験勉強そっちのけでハンダ付けを覚えてプリンタパラレルポートに接続するPSコントローラを自作するために読んだゲームラボだったり。
たとえば、電撃裏ワザ王に載ってる持ってないゲームのエロ裏ワザだったり。
たとえば、コミケの島サークルでひっそり100円で売られていた殴り書きで原作無視のめちゃくちゃなギャグ漫画だったり。
たとえば、コロコロコミックの読者ページに送られてきたはがきに無数に散りばめられた「のせて」だったり。
たとえば、PCで格ゲーを快適に遊ぶために受験勉強そっちのけでハンダ付けを覚えてプリンタパラレルポートに接続するPSコントローラを自作するために読んだゲームラボだったり。
たとえば、電撃裏ワザ王に載ってる持ってないゲームのエロ裏ワザだったり。
たとえば、コミケの島サークルでひっそり100円で売られていた殴り書きで原作無視のめちゃくちゃなギャグ漫画だったり。
たとえば、コロコロコミックの読者ページに送られてきたはがきに無数に散りばめられた「のせて」だったり。
たとえば、寒い夜にひとりで吸うタバコの味だったり。
たとえば、泣いている子供が抱いていた死んだ野良猫の生きた意味だったり。
たとえば、泣いている子供が抱いていた死んだ野良猫の生きた意味だったり。
まあなんというか、どこかでクズで、情けなく、社会への意味なんか持たず、それでも眩しく光り輝くものがやっぱり好きです。
情けないとこ、クズなとこ、最悪なとこ、僕の僕なとこ、そういうものを否定してまで肯定されたいとは思わないですし、肯定されたとしても「でも本当はクズなままでいたいしなぁ」と思ってしまいます。
クズのまま抗って、抗って、一瞬光って、そんで消えたい。
きっとその光を発しているときは、残りの人生を生きる意味が無いくらい気持ちいいんじゃないか……なんて思っています。いつ光れるかなんて全然検討もつかないんですけどね。
みたいな感じで、僕じゃなくてもそういうクズだったりクズのワナビーの人、いるんじゃないでしょうか。
もし周りにそうかもしれないと思い当たる人がいたら、こう褒めてあげてもいいかもしれません。
「クズだけど素敵だよ」
なんてね。
今の世の中をクズのまま生きるのって結構たいへんです。
社会に叩かれるそういうクズな部分を、わかってくれる誰かがいたら、肯定してくれる誰かがいたら、ちょっとだけ元気になれるかもしれません。
まあどのみち社会的にはクズのままなんですけどね。
僕はここに書いてしまった以上、恥ずかしいのでこう褒めてくれなくていいです。
光るまで待っててください。
社会に叩かれるそういうクズな部分を、わかってくれる誰かがいたら、肯定してくれる誰かがいたら、ちょっとだけ元気になれるかもしれません。
まあどのみち社会的にはクズのままなんですけどね。
僕はここに書いてしまった以上、恥ずかしいのでこう褒めてくれなくていいです。
光るまで待っててください。
もし光ってたらゲラゲラ笑ってくれたらうれしいです。